ゆうりしんぶん 2024年4月号


うごく、ゆうりくん

2024年3月のゆうりくん 

3月のおでかけは、ママが企画してくれました。

小平市ふれあい下水道館 と (笑)
つくばエキスポセンター と
代々木公園 グリーンアイルランドフェスティバル と
大磯プリンスホテル(と 平塚のラウンドワン)。

ママとベッタリくっついて歩いたり、ハグしたりする ゆうりくんは
女の子と ラブラブデートが自然にできるようになるのかな?
ま、こじらす可能性もかなりある。


スイミングスクール 続けるんかい

スイミングスクールは、電車で 4駅のところにあって、金曜日に遊びたいのを我慢して通っています。
もともと、顔を水につけるのがすごくイヤだったし、着替えなければいけないし、嫌いな要素が多いんですよね。
おとうさんは「気が重いんだったら、やらなくていい。スイミングスクールはやめたらいい。」
と だいぶ前から ゆうりくんに伝えていました。

まぁね、おとうさんは50年以上生きてきたからわかるけど、「泳ぐ場面」って、本当に少ないんですよね。
飛行機が海に落ちたら、船が沈んだら、津波が来たら、泳がないといかん。
そう思って 泳ぎの練習しましたけど、飛行機は落ちないし、船は沈まんし、津波も来ない。

ま、ダンススクールも 「人生にそんなに踊る場面ある?」だし、
ピアノ教室も「この先 案外 ピアノの腕前を披露するタイミングないで?」ですけどね。
とはいえ、ダンスは 身のこなしがよくなるし、ピアノは音楽の基礎が身につくんですよ。
「泳ぐ」っていうのは、陸上生物には あんま要らん動作だと思うんだよなぁ。
楽しいならやればいいけど、楽しくなかったら やめちゃえばいいじゃん、と思います。

ただし、「ボク、スイミングスクールやめます」と自分でママにちゃんと宣言する というのが条件です。
ママが続けてほしがっているのに「やめます」とは よう言わんわ、であるなら、続けるしかないわな。
でも 「場を乱しちゃうな」ということだって、言わなあかん時もあるんやで。

なのに、ですよ。ママも「3月で終わりにしていいよ」と言っているのに、ですよ。
「ボク、次のグレードに上がれるまで、スイミングスクール行く!」って言うんですよ。

おいおい、いったいどうした? びっくりやで。
ビッグサプライズや。なんか知らん、 頼もしくて、なんだかうれしい、ビッグサプライズやで。

といいつつ、3月の昇級試験の日、つい うっかり寝てしまって、行けなかったらしいな。
なにしとんねん、も~。ビッグサプライズやで。


図工作品

学年最終週は、持ちきれんほどの荷物を抱えて帰ってきます。
ちょ、この家は ゆうりくんの荷物倉庫では ないんやで? こまるなぁ、こんなに持って帰ってきて。
「もう学校で処分してよ」と言いかけるのですが…

お? 図工作品、なかなかいい出来やないか!

一番左は 板と釘と輪ゴムでつくったスマートボールです。
ゆうりくんが工夫したところは、スコアのところらしい。
えらいでかい数字が並んでいるけど、ブラックジャックみたいに「ある得点をギリギリ超えない」のを目指すのだそう。
あぁ、いいね。みんなと同じようなものつくるより、ちょっとヒネリを入れたいよね。
それにしても、桁が違うほど、スコアに差をつける必要は… ないと思うけどね。
なんといっても『文字の勢い』がね、秀逸ですね。すばらしい。ほんと感心しました。

真ん中と右は、「わたしのサイン」というお題の作品らしいです。
みんなはね、ひらがなやら ローマ字やらで 一筆書きみたいにして、☆やら ♡やらで アクセントをつけるんですよ。
ゆうりくんはね、江と優でロボットを描いてみたりね、「それ、サインというより、ロゴじゃん」みたいなものを
描いちゃうわけですよ。いやぁ、ヒネリますねぇ。もう 10歳にして、岡本太郎とか、横尾忠則の境地じゃん。
ま、「サインというものを知らない」だけかも 知れないですけどね。
優の「心」は、真ん中にあって、赤く熱く燃えとるんですな。そこはどうしても表現したいところだよね。


2024年3月13日の糸井さんのことば

思えば、子どものころは、学校から帰ってすぐに学校に行ったものだった。
朝はいわゆる学校に行って、午後に帰る。
そして、ただ広い遊び場としての学校にもう一度行く。
野球だとか、ドッヂボールだとか、プールだとか、
なにをするか決まっていることもあったけれど、
なにも決まってなくても学校に行くことが多かった。
河原や公園に行くよりも、学校には友だちのいる確率が高かったしね。
鉄棒だとか、砂場だとか、ブランコぐらいしか遊ぶための施設はなかったな。
あとはせいぜい水飲み場くらいのものだった。
でも、ぼくらが学校に集まろうとしたのは、
そこがただただ広いからだったような気がする。

いまの子どもたちが学校に遊びに行くことはなさそうだ。
きっと先生たちの管理もたいへんだろうし、
安全やら安心やらを確保できないということか。
昔も、安心やら安全が保証されてたわけじゃないけど、
いまの時代には、それはやっぱりダメなんだろうな。

「ただの広い場所」は、いまどこにあるのだろうか。
東京だけじゃなく、ほとんどのいわゆる都市には、
「ただの広い場所」なんかありゃしない。そりゃぁそうだろうとも思う。
だって、1m四方の土地にだって値段がついている。

いま雑に調べたら、東京都の基準価格の平均が
ひゃぁ108万円/1㎡であるらしい(銀座のあのあたりだと5380万円だって)。
驚いていてもしょうがないが、ま、すごい金額だ。
それを「ただの広い場所」になんかできるわけもない。
嘆いたり怒ったりするつもりはないのだけれど、
ぼくらは「ただの広い場所」が存在するのを想像することさえ
忘れてしまっているような気がする。
あらゆるものに値段がついているのがいまの社会だけど、
土地の値段は飛びぬけて高額だからねー。
都会にいるかぎりは、この思考回路から抜け出せない。

気仙沼に2泊3日いただけなのだけれど、その3日間、
「広い景色」のなかにいたような気がしているなぁ。
「広さ」って、道や上下水道のようにインフラじゃないか?

空の広さや高ささえも、実は「人間の条件」じゃないかな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ここ半年くらい、なんだかそういうことばかり考えています。


おとうさんは、もともとは お出掛け好きな人間ではないのです。
「うごく、ゆうりくん」を毎月つくる というアウトプットが
インプットとしてのお出掛けを おとうさんに強いているだけです。
お出掛けするときに「ただの広い場所」に行っても、ちょっと困るんだけど、
道中の車窓から 広い世界が眺められるし、人の気配を感じます。
「人の気配」はいいよね。あったらあったで あたたかいし、ない のも新鮮です。
「ただの広い場所」は うすーい 人の気配を愉しむ場所なのではないか、と思います。

2024年3月28日の糸井さんのことば

漢字で女を書いて、又を書いて、その下に心を書くと「怒」になる。
これは見慣れた漢字だが、この又の部分を口にすると「恕」という文字である。
ふだん、あんまり使われているのを見ない。
さらに正直に言うと、ぼくは読み方についても、
「じょ」だっけ?「にょ」だっけ?と自信がなかった。
いま、ぼくが超付け焼き刃で『論語』を読んでいるのだが、
そのなかに重要なことばとして出てくる。

知ったかぶりはできないので、おそるおそる書き写す。
「其恕乎。己所不欲、勿施於人」
〈其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ〉
これは弟子の子貢が
「たったひとことで、一生大事に持っているべきことばはありますか?」
と孔子にたずねたときの答えだそうだ。
「それは恕(思いやり)だな。じぶんがされたくないことを人にするな
 ってことだよ」。
それを知って、無学のぼくは「へーえ」と思うわけだ。
いまの社会では、なんでも「愛」があればになってる。
「愛」は「憎む」の意味も含んでいるから、
なかなかあぶなっかしいことばだとは思っていた。
他にも、古代から「仁」だとか「義」だとか「礼」だとか
いろんなことばが残っているけれど、紀元前500年以上も前の孔子は、
「ひとことといったら恕だな」とはっきり言ってる。
「恕」は「仁を一歩進めて許すの意味を含んでいる」。
超付け焼き刃論語読みのぼくは、かなりしびれた。
「かっこいいぃぃっ!」と心が湧いた。

(略)

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「論語」がおもしろいなんて逆説に聞こえるのもおもしろい。  


あ、そうそう。
ゆうりくんの名前は「亜村:あそん」にしたいと おとうさんは考えてました。
えまあそん、エマアソン、エマーソン。海外で通用しやすい名前です。
アジアのムラは、みんな働き者で、ご近所様を大切にするイメージがあります。
でも 字画占いが最悪なので、やめました。ふざけすぎかな、とも思ったし。

「恕:やすし」とか「恕安:ジョアン」とかも 候補でした。
この「恕」という字は、子供の頃に 教育テレビ(いまのEテレ)で知りました。
邪馬台国の卑弥呼だったか、誰かの手紙に「恕」と書かれている、というのです。
それは「(戦争をして憎みあった敵国に対して)ゆるします」という
メッセージとして 書かれていたらしいのです。
「戦争に勝ちきれないから 和平を結ぶ」というわけではなくて、
もっと大切な何か(たぶん日本の統一か 独立)があったので、
そのために "許しがたきを許す" ということにしたらしいんですよね。
子供の頃のおとうさんも、「かっこいいぃぃっ!」と心が湧いたんだよ。

邪馬台国から1700~1800年を経て、日本はアメリカと大戦争をしました。
大空襲、艦砲射撃、原爆で、家と家族と生活をめちゃくちゃに壊した
敵国アメリカを、今では一番 親しい外国だと感じている日本人の心根。
「もらった民主主義」だとか、「平和ボケ」だとか、そういう揶揄は横において
「神風」ではなく、「恕」で復活したことは、とても誇らしいじゃないの。

でもま、「ゆうり」が一番いい名前だから、それにしたよ。


MUSIC

2024年3月のうごく、ゆうりくん の楽曲紹介

Ray Bullさんの ♬ "Nevr" です。

この曲のMusic Videoはないので、ショート動画です。
まぁ、仲いいね、この二人。ブルックリンで活動しているんですね。

動画に歌詞が表示されているので、実はハッピーな曲ではない
ということがバレちゃうな。


ママは NETFLIX の会員です。
以前は、バーベキューの名店紹介とか、ラッパーの全米大会とか、「なぁ~んそれ?」なドキュメンタリーを観ていたけど、
最近はまったく観ていないみたい。
(アメリカのラッパーのドキュメンタリーを観ているうちに、良いフローと イマイチなフローが聴きわけられるようになったらしい)

おもしろいテレビ番組がない中、NETFLIXは さすがアメリカの会社だけあって、アメフトの番組が充実しています。
そんなわけで、ママのお金でNETFLIXを観はじめたんだけど、最近は Spotify を描いた「ザ・プレイリスト」も観ました。
おとうさんは Spotifyのサービスが大好きなんですよ。

だけど、「ザ・プレイリスト」は "Spotifyの闇の部分" を描こうとしている番組でもあります。
特に最終話のエピソードに「アーティスト」を持ってきて、Spotifyからの収入では食べていけないアーティストが描かれています。
Spotifyによって、音楽というアートの価値が踏みにじられている という描かれ方で、気持ちの悪い後味が残ります。

私は音楽アーティストではないので、実状はよくわかりません。
自分がその立場だったら「Spotifyで自分の作品がすごく安く買い叩かれている」と感じるのかもしれません。
Spotifyで音楽を聴き始めてから、確かに 『アルバムとして ひとりのアーティストの作品を聴きこむことがなくなった』と感じるし、
その代わり 次々と新しい曲を聴くようになって「音楽を消費する」 ようになったという実感もあります。
手放しで「それは良いことだ」とは言えない気もします。

でも。やっぱり、Spotifyと出会ったとき、「これはすごいな」と衝撃を感じたことは確かです。
「ザ・プレイリスト」では、ものすごい数の楽曲を瞬時に再生できる技術を賞賛しているけれども、
私が衝撃を受けたのはそこではなくて、月間リスナーが まだ数百人のかけだしのアーティストの曲が聴けること。
「こういう
曲好きでしょ?」と Spotify が毎週60曲持ってきてくれて、まるで、昔からの友達みたいに好みを言い当ててくる
そのリコメンド精度の高さに驚嘆したのです。

テイラー・スイフトとかが、一時期 Spotifyから楽曲を引き上げて、Spotifyに異議をつきつけたんだけどさ、
それが アーティストの誇りであり、アーティストの想いを代弁をしている と賞賛されたりしたわけなんだけどさ、
よくよく考えてみてよ。
テイラー・スイフトの年収は170億円、それってつまり 1日5000万円。1日 1万円で生活する人を5000人も支えられる金額。
本当にアーティストの代弁者であるなら、まだ売れていないアーティストを資金援助してあげてよ。やらないじゃない。
大谷くんの年収も100億円ぐらいなんだけど、そんなにお金をもらって何に使うんだ? という金額です。
音楽も スポーツも、食っていけない人と スーパースターの格差が大きすぎる。
だけど みんな キラキラしたスーパースターが大好きで、その人達を冷静にみて、批判することはしないじゃない。
全国の小学校にグローブを配るのを「粋なはからい」だと みんなは賞賛するし、確かに美談なんだけれども、
そんな金があるなら、マイナースポーツの優秀な選手の活動費を援助することに使ってよ、という話。
Spotify が 音楽アーティストが得るべき利益をかすめ取って大儲けしているように描かれているけど、Spotifyはずっと赤字。
富は いつも ごく一部のスーパースターに集中してしまう。
それを「アメリカンドリーム」で片付けてよいのか? という問題に「ザ・プレイリスト」は全く触れていないです。
ダニエル・エクは「矛先をSpotifyに向けずに、レコード会社に向けてくれ」と言ってるだけなんだけどな。

かけだしのアーティストでも、才能とセンスさえあれば、大金を使ってレコーディングやプロモーションをしなくても、
しっかりとリスナーに届いて、魅了できる。その仕組みこそが Spotify です。
毎週60曲のリコメンドをもらえる対価として、今の5倍の料金
月額5000円)を払ってもいいんだけどな。
それだけの価値があるサービスだし、それで インディーズのアーティストが音楽に専念できるのなら、そうしたい。


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