ゆうりしんぶん 2024年10月号
うごく、ゆうりくん
2024年9月のゆうりくん
富山に行ってきました。
それにしても… 旅行にいくたびに雨。
雨だし、富山ってちょっとオトナ味の県だし、
ゆうりくんの気持ちもちょっと沈んでたんですが、
最終日に晴れてくれて、ウシくん・カエルくんがとれて、
すっかりご機嫌な ゆうりくんが戻ってきたのでした。
パペットマペットのお笑いネタがみたいのに、
パペットマペットのYouTubeチャンネルが
ゲーム実況チャンネルで草。
富山
おとうさん:ねぇ、ゆうりくん。富山に遊びにいったじゃん?富山は好き?
ゆうりくん:… … うん、まぁ。
おとうさん:富山のどこが良かった?
ゆうりくん:んー… トランク(スーツケース)に乗って、いっぱい滑れたところかな。
おとうさん:… なーんソレ!!!?
でもまぁ、ゆうりくんにとっては、まぁまぁたのしかったようです。よかった。
富山は… 今まで見た どの街とも違いました。
ママがその違和感のいくつかを説明してくれました。
①たぶん、雪のせいで、建物に負担がかかって、くたびれている。
②どの街にも そこらじゅうにある コンビニエンスストアがない。
たしかに。ていうか、スーパーもないじゃん。
でも、どこかで同じような風景をみたことがある気がするんだけど… あー… アメリカだ。
30年前ぐらいの、ロサンゼルス・ハリウッドとか、サンフランシスコのハイトストリートとかじゃん。
建物がのきなみ低い。そしてくたびれている。そして、青・黄・赤が縦に並ぶタイプの信号機。
SEKAI HOTEL Takaoka
SEKAI HOTEL Fuse が めっちゃたのしかったので、SEKAI HOTEL Takaoka に行くことは決めてました。
9月の3連休、行くならこのタイミングでしょ! とおもって、行ってきました。
んー… んー… あんまり… 良くない。
そりゃあ、大阪の布施が賑やかな街なのに対して、高岡は3連休だっていうのに店が閉まってたりして、
街として少し元気がないから、しかたないかもしれないけど。
でも、高岡って、もっとちゃんと紹介してくれたら、おもしろい街なんじゃないかなぁ。
気になるお店も いくつかあったけど、入るのが ちょっと勇気いる。
SEKAI HOTEL Fuse や UDON HOUSE や 講 大津百町 は、「私たちが好きな自慢のお店です」って
ちゃんと紹介してくれました。
「やわやわブルー」のスタンプを各店に置いて、スタンプラリーにするだけでも、お店に入ることができるのに。
なんとも努力不足です。「ぜひ あなたも泊まってみて」とはおすすめできません。
どういう気持ちで、どうやるか。それが違うと、同じ SEKAI HOTEL でも こんなに大きな差が出る。
逆に言うと、気持ちを込めて、自分の大切なものをアウトプットしていけば、良いものになるってこと。
2024年9月8日の糸井さんのことば
「わたしには、ほんとうにやりたいことがある」って、
そう言う人はすごいなぁと思うんだ。
「わたしには、ほんとうにやりたいことがあるんです!」
と「!」付けて語る人も、けっこういる。
そして、その裏側には無数の
「わたしは、ほんとうにやりたいことが見つからないんです」
と言う人がいることも知っている。
「わたしがほんとうにやりたいこと」って、なんだろう。
ほんとに、それを見つけている人っているんだろうか。
台本があって、それを演じている俳優がいたとする。
その台本は、じぶんが書いたものじゃないけれど、
それを演じることを求められていて、それを演じる。
作曲家がいて、ある映画音楽を依頼されたとする。
その映画の物語は、作曲家がつくったわけではない。
いわば、曲づくりの腕を見込まれて手を貸したものだ。
『モナリザ』の画家が、依頼されて肖像画を描いた。
彼に描いてほしいと頼まれたところが出発点だ。
「わたしがほんとうにやりたいこと」ではなくて、
世の中のことはほとんどが「たのまれたこと」である。
「たのまれたこと」ばかりに忙しくて、
「わたしがほんとうにやりたいこと」ができない、
と言っている人がいっぱいいることを知っている。
もしかしたら、ぼくもそんなことを言ったかもしれない。
コピーを書く仕事も、もともと「たのまれたこと」だ。
作詞の仕事も、だれかが歌うための詩を考えるものだ。
たいていの仕事は、ほんとうにやりたかったものではない。
技術や味わいを認められて、手を貸すというものである。
商品としてお金と引き換えにやるものばかりじゃない。
友人の手伝いであるとか、おもしろそうだからやるとか、
お金のやりとりされない「たのまれたこと」も多い。
でも、「ほんとうにやりたいこと」をやったのとはちがう。
いやだったのかと言われたら、そんなことはまったくない。
矢野顕子の名刺みたいになっている「ひとつだけ」は、
アグネス・チャンが歌うためにつくった曲と詩だ。
「ほんとうにやりたいこと」というのは、
「たのまれたこと」をやっているときに見つかるもの、
かもしれないなぁ、と思うのだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほんとうにやりたいこと」を探すのは、ヒマなときでいい。
2024年9月9日の糸井さんのことば
ギターが一本あったら、例えば全国のライブハウスだとか、
なんならどこか公民館みたいなところだとか、
さらにどなたかの自宅の庭先だとかで、
演奏と歌でコンサートができるわけです。
憧れちゃいます、「あらゆる空間が劇場になる」んだから。
ただね、どんなに憧れていたとしても、
まずは、聴かせられるほどの楽器演奏の腕前と、
多少なりとも人が来てくれそうな歌がなくちゃだめです。
いくら「自由」を歌っても、弾けないのはだめです。
でね、ギターでもキーボードでもいいんだけど、
その楽器がなくても、全国でライブを演れちゃう人が、
いまの世の中にはけっこういるんですよね。
資格試験もないし、開業資金も要らなそう。
それは、そうです「お笑い」です。
テレビに出るとか出ないとかも、大事かもしれないけど、
やる気があったら、メディアなんてなんとかできる。
おもしろければ、ライブハウスとかでやれるじゃない?
そりゃね、それでちゃんと生活できるかどうか、
それはわかりませんよ、実力しだいだと思います。
その実力を試せるような機会もありますよね。
優勝したら売れっ子になること確実というような
すごく有名で盛大な大会もあります。
そういう漫才コンペの予選に応募してくる人たち、
8500組とかの数になってるらしいです。
ぼくら受け手は、お笑いの世界のスーパースターや
スターや売り出し中の新人とかを見て、
あれはおもしろいとか、イマイチだねとか言ってますが、
つまらないようにも見える若手のお笑いほどのことが、
おまえにはできるかと言われたら、これは大変です。
さらに、芸は無理でも、その漫才の台本なら書けるか?
正直、ぼくはよくそのことを考えているんです。
で、思うのは、ほんとにやりはじめたら、おそらく、
「つまらない台本」も書けないんじゃないかなぁ。
まぁ、「つまらない」のはじぶんでも気づくから、
ひとつ仕上げることさえもできないわけですよ。
もう、楽器を練習したほうが早いかもしれない。
週末も、サンドウィッチマンの単独ライブ見てね、
大いに笑いつつ、富士山を仰ぎ見るような気持ちで、
「ほんとに無理だ」とか思いながら帰ったのでした。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ん?つまりおれは、ひとり全国ツアーがやりたいのだろうか。
2024年8月28日の糸井さんのことば
取材を受けるとか、インタビューされるとか、対談をするとか、
インタビューをするとか、人と人とが、聞いたり話したりする
機会があります。
一般的に、だれもがそういうことをしているかというと、
そういうものでもないのは知っています。
ただ、いつごろからだかわかりませんが、
ぼくにとっては、そういうことが日常のようなものです。
「ほぼ日」をはじめてからは、特に増えました。
それまでは、雑誌や、ラジオ、テレビなどの媒体がないと、
対談やインタビューの機会はなかったのですが、
「ほぼ日」という場ができたおかげで、媒体はいつでもありますよ、
ということになったからです。
さらに、「ほぼ日」がはじまってから四半世紀を過ぎて、
「ほぼ日の學校」が出発しました。
そうすると、いままでの「ほぼ日」だけのときより、
会いたい人登場していただきたい人が何倍にも増えました。
ぼくの出番も多くなって、はじめてお会いする人とも、
たくさん話をすることになりました。
こういうことは、ぜんぶ、いいことです。
いろんな場所に旅をすることや、さまざまな料理を食べることや、
考えてもいなかった体験をすることと同じように、
人に会って、話を聞くということは、
「じぶんを変える」ような「出来事」なんですよね。
聞いているときにも、聞かれることもあります。
そんなときには、いままで考えなかったことでも、
なんとか考えてなんとか話すことになります。
インタビューを受けるときも、新しくなにかを考えます。
インタビューするときにも、新しくなにかを考えています。
こういうことを、こんなにたくさん繰り返して来たせいで、
じぶんのなかの考えが生まれたり育ったりしたと思います。
「会う、話す、考える、変わる」が、いつでもセットのようになって
「わたし」ができていく。
こんな機会をこれほどたくさんいただけて、
ほんとうによかったと思っています。
みんなも、「ごっこ」でいいから、
インタビューをやるといいんじゃないでしょうか、本気で。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ほぼ日の學校やっと知られてきたようで(笑)うれしいです。
2024年9月17日の糸井さんのことば
スポーツジムのトレーナーは、
それぞれがじぶんでも選手だった経験を持っている。
種目はもういろいろで、バスケットボールもいれば、
陸上競技もいるし、ダンス出身の人もいる。
そのなかで大学時代に野球をやってきたトレーナーが、
なにげなくこんなことを言った。
「ぼく、野球やっていた期間に、練習も、練習試合も、公式戦も、
ぜんぶ含めて、ホームランって3本打ってるんですよ。
あらゆる打席をぜんぶ含めて3本なんです。
大谷選手が、どれだけすごいかと思うんですよね」
二塁手をやっていたという彼は、
スポーツ選手としては大柄なほうじゃないけれど、
とても優秀なコーチで、おそらく選手のときでも
たくさん研究も練習もしてきたにちがいないと思う。
その彼が、3本しか、3本だけ打ったホームランが、
はるか遠くで活躍している大谷翔平選手のすごさを、
つくづくわからせてくれているのだ。
ホームランというものの実感を知っている人には、
他人のホームランのことがよく伝わっているのだろう。
ま、それは同じ野球でも、死球を受けたことのある人が、
試合観戦をしていてデッドボールの場面を見たときに、
「これは痛いぞ」と感じているのと同じようなことだ。
こういうことは、あらゆる分野である。
ぼくのように将棋のことをよく知らない人間には、
将棋界のスターたちが、どれほどすごい勝負をしているか、
実はまったくよくわかっていない。
物理学の世界での大発見があったというニュースを読んで、
それがどういうものなのか、わかっているのは
いちばん近いところで研究をしてきた人たちであろう。
一般人には、感心することもなかなかできにくいのである。
ぼくは、いつも「感心したい」と思って生きている。
ホームランの実感や、デッドボールの痛みは知らなくても、
将棋の一手一手のことがわからなくても、
物理の最新理論について理解が届かなくても、
「どこかに感心できる要素が見つかる」と信じている。
「ほぼ日の學校」をはじめ、ぼくの毎日やっていることは、
すべて、「だれもが感心できる世界」の開拓かもしれない。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「感心する」というのは、ぼくの好物であり趣味なのです。
MUSIC
Spotify Recommend Radio September 2024
『うごく、ゆうりくん』 プレイリスト
先月号も読んでね
ご感想、あなたのニュースや、 あなたがふたたび訪れたい場所など、おきかせください。